平成15年度 国際関係 国家一般職

問題

安全保障体制に関する次の記述のうち,妥当なのはどれか。

1 1815年のウィーン会議後のヨーロッパでは,約100年間,大国間の戦争は起こらず,その状況は「ヨーロッパ協調」と呼ばれる。「ヨーロッパ協調」は,勢力均衡政策が実践された結果であり,ヨーロッパでは小国も含めたすべての国が勢力均衡により自国の安全を保障できたが,ヨーロッパ以外で、はそのような安全保障体制はみられなかった。

2 第一次世界大戦後,勢力均衡に代わり集団的安全保障の考え方が主流となり,国際連盟が設立された。集団的安全保障とは,相互に対立関係にある国家同士をも含めた安全保障体制参加国全部が互いに武力によって攻撃しないことを約束すると同時に,いずれかの参加国がこの約束に反して平和を乱した場合には,ほかの参加国が共同し集団としてこれに対処するという考え方である。

3 国際連盟の集団的安全保障体制は1930年代半ばには機能しなくなった。1935年にイタリアがエチオピアに侵攻した際,国際連盟はイタリアの行為を侵略行為とみなし,制裁措置を発動した。軍事物資の禁輸,イタリアからの輸入の禁止などの経済的制裁に加え,国際連盟加盟国による国際連盟軍を派遣するなどの軍事的制裁措置を採ったが,イタリアの侵攻をやめさせることはできなかった。

4 第二次世界大戦後,再び集団的安全保障体制の構築が目指され国際連合が設立された。国際連合では,集団的安全保障体制を強化するために安全保障理事会において五大国一致の原則が採用され,大国に拒否権が認められた。冷戦期には拒否権が要因となって,国際連合の平和維持の機能は大きな制約を受けることとなった。朝鮮戦争は,五大国が一致して賛成したため国連軍を派遣することができた唯一の事例である。

5 国際連合憲章は,個別的自衛権及び集団的自衛権を認めている。集団的自衛の例としては,北大西洋条約機構(NATO),ワルシャワ条約機構(WTO),アフリカ統一機構(OAU),米州相互援助条約,日米安全保障条約などが挙げられる。冷戦が終わったことにより,これらは変容を余儀なくされ, NATOはロシアを始め加盟国を増加させ,東方へ拡大した。

解答

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