SEの社会的地位が低い理由は民法の「請負契約」が適用されるから 地位が高い仕事は「委任」、低い仕事は「請負」

いわゆるITの仕事にはITコンサル、SIer、ITベンダー、プログラマなど様々ですが、この区分の仕方は本質的ではありません。

単に全部「SE」で十把一絡げにしてしまうのが適切です。「IT従事者」でもいいでしょうが、日本では「SE」が一番通じやすいでしょう。業界がよくわかってない学生からみてもシンプルに理解できますし、実際問題として実態としては全て同じです。

なぜなら彼らの仕事は全て3K労働であり医師・弁護士と比較して社会的地位が低いからです。この社会的地位の低さの根本的原因は法律にあります。

なぜ彼らSEの仕事は社会的地位が低くキツイと言われたり「土方」と言われているのか。

それはSEが「請負契約」で仕事をしており、その「請負契約」は土建屋の土方も同じく採用している契約だからです。「IT土方」というのは言い得て妙ということになります。土建屋の土方と同じ「請負契約」という民法上の契約で仕事をしているから、SEも同じく弱い立場に置かれて社会的地位が低くなっているわけです。以下一つ一つ解説していきます。

民法上の契約には委任契約と請負契約がある

日本の民法では財産法(総則、物権、債権)、家族法と大きく分かれています。このうち最も分量が多いかつ重要なのが「債権」です。

そして日本の民法はドイツから輸入したものなので、日本における委任契約と請負契約のルーツはドイツ民法の源流であるローマ法にあります。

実は日本の民法では、ローマ法で規定されていた「請負契約は奴隷が有償でやるもの」という規定をそのまま継承しています。以下具体的にみていきます。

委任契約は医師や弁護士に適用 仕事が成功しなくてもOK 原則無償契約になる

まず委任契約から見ていきましょう。委任契約というのは事務そのものに報酬を支払う契約です。

民法第643条
委任は、当事者の一方が法律行為をすることを相手方に委託し、相手方がこれを承諾することによって、その効力を生ずる。

これは委任契約について規定した民法の条文ですが「法律行為をすること」自体が契約の目的になっていることが重要です。

例えば医師の診療は委任契約です。医師が行う治療行為そのものが契約の目的になっています。たとえ治療に失敗しても医師は報酬を得ることができます。医師は治療行為そのものに対して診療報酬をもらうことができ、手術などの治療の成功に対して報酬を貰っているわけではないのです。

また弁護士との契約も委任契約です。たとえ裁判で負けても弁護士は報酬を得ることができます。なぜなら弁護士は法定代理人として「弁護する」という事務(法律行為)に対して報酬を貰っているからです。

そしてこれらの委任契約に対する報酬は「原則無償」とされています。

第648条

受任者は、特約がなければ、委任者に対して報酬を請求することができない

ここでいう受任者というのは医師や弁護士のことですが、特約がなければ委任者(患者や弁護を依頼した者)に対して報酬を請求できないと規定されています。

なぜ無償なのかというと、ローマ法では医師弁護士などの委任の事務は貴族の義務として無償で提供するべきという考えたあったからです。

逆に、報酬を受け取って仕事をするのは奴隷がやるもので卑しい存在がやるものであり、報酬を受け取って仕事をするのは嫌がられるものでした。医師や弁護士は無償で医療行為や弁護をしてあげていたわけです。

このような歴史的経緯から、医師弁護士のように委任契約の仕事は無償で、請負契約のように奴隷がやるものは有償というローマ法の規定が近代化以降も受け継がれドイツ民法に反映されていました。そして日本の民法はドイツ民法をモデルとして作成したため日本の民法でも全く同じ考え方が受け継がれています。

実際には医師にかかると有償じゃないかという反論がありそうですが、それは社会保険診療報酬支払基金法という特別法で民法の原則を上書きしているからです。一般法と特別法がある場合特別法が優先するので、この法律(規制)に守られる形で医師による治療は実際には有償になっています。民法上の原則としては無償であること、それはローマ法時代から社会的地位が高い仕事に区分されていた委任契約だったことに起因することは覚えておいたほうがいいでしょう。

逆に司法書士や行う不動産登記の書類作成や、税理士が行う財務諸表作成、公認会計士が金融機関のM&A時に依頼される財務デューデリジェンスの書類作成など、「成果物」に対して報酬が支払われるので「請負契約」になります。この違いが医師・弁護士よりも司法書士・会計士・税理士が”下”と言われる所以です。

請負契約は土建屋やSEなどの土方に適用 仕事が完成しないと一切の報酬が支払われない 原則有償

委任契約と対比されるもう一つの契約形態に「請負契約」があります。これはローマ法時代から「奴隷」に対して使われていた契約です。ソフトウェアを開発しその完成物を提供し、その成果物の完成に対して報酬が支払われる契約です。

民法第632条

請負は、当事者の一方がある仕事を完成することを約し、相手方がその仕事の結果に対してその報酬を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。

「仕事の完成」、「仕事の結果」というところが非常に重要です。

先程の医師弁護士における委任契約の例では、治療に失敗したり弁護したものの裁判で敗訴した場合でも、「治療や弁護という法律行為」そのものに対して報酬が支払われましたが、請負契約の場合は「仕事の完成という結果」を出さないと報酬が支払われません。そのかわり請負契約は原則有償となっており、原則無償となっていた委任契約とはその点で異なります。

民法第633条

報酬は、仕事の目的物の引渡しと同時に、支払わなければならない。ただし、物の引渡しを要しないときは、第624条第1項の規定を準用する。

これもまたSEにとって酷な部分です。報酬の支払いが行われるのは目的物(ソフトウェア)の引き渡しと同時なので、完成するときまで報酬が支払われないことになります。

つまり100%完成することが求められています。これは請け負う側にとって酷なので、そのかわり原則有償にしてあげようというのが民法です。また日本の民法はローマ法を源流としたドイツ民法をモデルとして作成されたため、先程述べたように「お金を貰って仕事をするのは奴隷がするもの」といった考えが強く反映されています。この点は有名な話であり、私は学部の教養課程でこの話をききましたし、有名な「内田民法」という本を読めばちゃんと書いてあります。

実際は特約によって、ソフトウェア開発の進行状況によって報酬を受取る契約になっていることが多いです。しかしそのとき使われる会計基準は工事完成基準や工事進行基準というこれまた土建屋の土方で使われるのと同じものです。SEの仕事と土建屋の土方の仕事というのは、ありとあらゆる面で酷似しておりアナロジーで語られる部分が多いのはこのためです。

特約で請負SE側の不利を軽減するにしても、そもそも土台となる民法の請負契約規定がこれですから、どのみち請負側のSEにとって不利になることには変わりありません。

民法第635条

仕事の目的物に瑕疵があり、そのために契約をした目的を達することができないときは、注文者は、契約の解除をすることができる。ただし、建物その他の土地の工作物については、この限りでない。

この瑕疵というのは「キズ」「欠陥」という意味ですが、要は不完全だということです。特許庁が日本IBMに発注した情報システムの例で言えば、特許庁が要求していた機能を満たしていなかったということもこの「瑕疵」です。

そしてこの民法の規定では、そのソフトウェアに瑕疵があれば発注者は契約を解除することができるとあります。つまり請負契約自体をなかったことにできるということです。契約がなければ当然報酬支払いも発生しません。この解除というのは一方の意思表示のみでなしうる法律行為なので、請け負ったSEにしてみれば情報システムを作ったのに一切の報酬が支払われず契約を一方的に解除されることになるわけです。

この条文の後半但し書きには「建物その他の土地の工作物については、この限りではない」とありますが、これはいわゆるマンションや商業ビル、一戸建てなどの不動産に適用されるものです。

せっかく大型ビルを作ったのに、99.9%の完成のみで0.1%足りていないというだけで契約を解除されたら請け負った側の損失は甚大です。せっかく99.9%の完成度で使えるビルがあるのに取り壊すのは社会的見地から不利益です。よって土地工作物については民法の但し書きで保護されていますが、ソフトウェアについては要求を満たしていないソフトウェアができてしまってもそれを取り壊す(削除する)のなんて一瞬ですから、土地工作物とは違って請け負ったSE側は保護されません。

この「契約解除」に防ぐには特約で排除するしかありません。これもユーザー側と請負契約を締結する際の交渉力次第でしょう。

つまり今の日本の民法の規定では、ソフトウェアを99.9%完成させたが、発注者が0.1%足りてないこと判断した場合、契約自体を解除することができます。当然一切の報酬を支払う必要がありません。

ただし、特許庁と日本IBMの例でいえば特許庁側が「99.9%しか完成していないがこれでいいでしょう」と妥協してくれれば契約解除に至らず「一応仕事を完成した」ということになります。

それでも、特許庁側はその足りてない0.1%に対して修補や損害賠償を請求することができます。

民法第634条

1.仕事の目的物に瑕疵があるときは、注文者は、請負人に対し、相当の期間を定めて、その瑕疵の修補を請求することができる。ただし、瑕疵が重要でない場合において、その修補に過分の費用を要するときは、この限りでない。

2.注文者は、瑕疵の修補に代えて、又はその修補とともに、損害賠償の請求をすることができる。この場合においては、第533条の規定を準用する。

「その瑕疵の修補を請求することができる」と書いてあり、また「修補」にかえて「損害賠償請求」することもできます。「修補」と「損害賠償請求」の両方を行うことも可能です。

つまり特許庁は日本IBMに対して、瑕疵を「修補」することを要求するのと同時に「損害賠償請求」することもできるわけです。

このように、ソフトウェア開発を受注したベンダー側は兎にも角にも不利になっています。仕事を完成させないと報酬は貰えないし、せっかくソフトウェアを開発した「つもり」だったのに契約を解除されるリスクもあるし、100%完成させないと損害賠償請求されたり修補を要求されるリスクもあります。このような不利な立場に置かれている原因は民法の請負契約にあることと、この請負契約という形態は日本のガラパゴス法ではなく、むしろ日本が先進国の近代的法制度を海外から輸入して導入されたことは知っておくべきでしょう。

情報システムという「成果物」に対して報酬を支払う「請負契約」になっているのがSEの社会的地位が低さに直結

「成果物」に対して報酬を支払うのが請負契約の特徴であり、その成果物を100%の完成度で納品することが求められるからこそSEは3Kと言われるわけですが、私のような法律的観点のアプローチとは異なるアプローチから同じ結論に至っている解説をご紹介します。

「改訂新版 コンピュータの名著・古典100冊」という本のP220に記載されています。

私は学部・大学院と理系情報系でしたが、学生のときから現在でもアカデミックな理論が好きでありKnuthの「The Art of Computer Programming」や「ゲーテル・エッシャー・バッハ」を読んできました。この2冊も当然掲載されている本です。2つともSEには縁のない本でしょう。

さて、本題についてP222から引用します。

知識やノウハウが「情報としてのソフトウェア」に結実されるソフトウェア・エンジニアにとってみれば、身体にスキルを蓄積できる技能工などに比べて、コモディティー化は致命的な勢いである。

出所:改訂新版 コンピュータの名著・古典100冊 P222

つまり、SEを働かせてアウトプットとしてでてくる「情報としてのソフトウェア」さえあればもうSEはお役御免でいくらでも代わりがきくということです。

「身体にスキルを蓄積できる技能工」というと技術者を想像しますが、一番いい例は医師です。医師は身体そのものに医療行為をするための技能を蓄積することができ、この高い技能があるからこそ診療報酬制度という特別な制度で医師の報酬を法的に守ることが許されています。

逆にSEのようにコモディティー化が進んでいるのは司法書士があります。司法書士が作成する不動産登記の書類は綺麗にフォーマットが決まっており機械的に記入するだけで書類が完成してしまい、またこの「書類」という成果物に対して報酬が支払われるため請負契約です。

また金融機関によるM&Aの業務の一連作業において財務デューデリジェンスというものが必要になりますが、その都度公認会計士と請負契約を締結して公認会計士に財務デューデリジェンスをさせます。でてきた書類が「成果物」でありそれに対して報酬を支払うので請負契約になります。M&Aというのは好景気なときには件数が増えますが、景気が低迷すると件数が減るので常駐で公認会計士を雇っておくのは割に合いません。そこでその都度案件ごとに請負契約でデューデリジェンスをしてもらって書類を作成してもらうわけです。弁護士は法務部で専属として正規雇用されているパターンが多いですが、公認会計士の場合は書類という成果物さえあればいいので、必要なときにその都度使って終わりということになります。

司法書士も公認会計士も「書類」という成果物に「結実」されていますから、SEと同じくコモディティー化しやすい職です。

SEの場合はアウトプットとしてソフトウェア本体と、そのソフトウェアが果たすべき業務範囲を明記したドキュメントさえ残っていればあとは他のベンダーに保守を任せても問題ありません。最悪ドキュメントがなくてもソースコードさえあれば新たに雇ったSEに読ませてドキュメントを作らせればいいでしょう。社内のSEであっても景気が悪くなったら解雇してしまって、よくなった時にまた適当に採用して新しいSEに改修なりしてもらえばいいわけです。

このようにSEが「案件が終わったら使い捨て」のようになってしまうのは、「ソフトウェアという成果物」にすべての情報が結実されているからです。

SE(IT従事者)が奴隷だとか土方だとか言われているのにはしっかり歴史的経緯、法律的な根拠がある

SEが置かれている立場の弱さや社会的地位の低さ、奴隷としてこき使われている状況をなんとかしたいと思っているSEは多いでしょう。

しかしそれを解決するのは無理です。

なぜならSEの仕事が請負契約になるのは日本のみならず世界的に定着しているからです。

そして請負契約が奴隷のためのものということは、ローマ法の時代から現在の民法まで脈々と続いているものです。もはや明文化された法律どころか慣習法として国際社会に根強く定着しています。

2000年以上もこの「社会的地位が高い委任」と「奴隷のための請負」で民法上の契約が行われてきたのですから、これを今更覆すのは無理です。

「SEは土建屋の土方と同じ請負契約だからそもそもが不利な立場にある」ということをよく承知した上でIT業界に入るなりした方がいいでしょう。

私は理系でもしっかり学部時代から法律を勉強していたので知っていましたが、理系の学生は法律の勉強を一切していない人が多いのでこの事情を知らずに「理系で情報系だったし就職はIT系でいいか」という安直な考えの犠牲者が大量にいます。

この事情を知っている人ほど理系情報系でもIT屋にならないよう新卒のときから注意して意識して就職している人が多いです。